60代おひとりさま、つれづれなるままに

ステンドグラスの脱臭剤ーそして私の原点

水に色ガラス片が浮かんでいる!?


いや、実は保冷剤を活用した脱臭剤だ。

猫のメラミンスポンジ、石鹸、クエン酸と一緒にトイレに並べてある。清涼感のあるハッカ油を垂らしている。


実はこの作り方、だいぶ前にYouTubeで知った。

保冷剤でつくる!飾りたくなる消臭剤☆


保冷剤の透明感を生かして、好きなものを中に入れられないかなと考え、思いついたのがガラス。ステンドグラスで有名なフランスのシャルトル大聖堂で買ったガラス片なのだ。


(大聖堂のステンドグラス、ネットより)


1988年10月から1年間、大学のフランス語教官だった(元)夫の留学に伴い、一家でパリに住んだ。息子は小2、娘は4歳になったばかり。私は専業主婦だった。
子どもたちは日本人学校や日本人経営の託児所のようなところに入った。
買い物や道を尋ねるのは、決まった言い回しを覚えればいいだけだから慣れる。
だが、フランス語のできない私はフランス人とのコミュニケーションができない。日々の生活は不自由のほうが多かった。


専ら、好きだった美術館巡りをした。ルーブル美術館だけで10回、オルセー、ポンピドゥーセンター5回ずつ、その他、画家の自宅をそのまま美術館にしたし小さな美術館もパリにはいくつもある。


教会や劇場、橋や役所など建造物自体が芸術品で、本当に美しいものに溢れていた。
パリから1時間ほどのシャルトルへは家族で行った。ステンドグラスをそこでまだ作っていたのだろうか、切りくずのガラス片を容器にいれお土産として売っていたのだ。


苦労と楽しさがないまぜになった滞在期間が終わる頃、私は日本の「湿気」が無性に懐かしくなった。パリでは30度くらいになっても、空気が乾燥しておりクーラーは必要ない。
木々が生い茂っていくときの「草いきれ」のようなものがない。


出産と県外への引っ越しを伴う夫の就職を機に大学院を中退してしまったことに、後悔は全くないはずだった。研究に行き詰まり、能力の限界を知ったはずだった。


だが、大学の研究室の書庫の黴臭さが、涙が出るほど懐かしいのはなぜだろう。


帰国してすぐ、私は当時住んでいた市内にある夫の勤める大学の国文科の聴講生になり、37歳になる歳に大学院修士課程に入学した。
終了して、論文書きと非常勤の仕事を始めたのは39歳のときだ。


思えば、パリ行きが、本当にやりたいことに気付く転機となった。
瓶にハッカ油を注ぎ足しながら、自分の原点を思い出した。


(シャルトル大聖堂、ネットより)