60代おひとりさま、つれづれなるままに

流行歌に狂った天皇-後白河院


後白河院―政治に手腕を振るった人物として、高校の歴史で習う。
大河ドラマでは、平幹二郎、松田翔太らが演じ、ちょっと変わった人物というイメージをもつ人も多いだろう。


その後白河院は、当時の流行歌「今様(いまよう)」に狂っていた。
彼が編集したのが、梁塵秘抄(りょうじんひしょう)という歌謡集。


残念ながらごく一部しか残っていない。
が、彼がいかに熱心に練習したかがわかる。



天皇になる予定のなかった彼は、今様好きの母親の影響もあって、10代から熱中する。
遊女や傀儡(くぐつ―遊女の仲間)であろうとも、かまわず宮中に呼んでいっしょに歌った。

天皇の位にあった30歳ころ、家臣の仲介で、乙前(おとまえ)に出会い、終生の師と仰ぐようになる。
乙前は傀儡出身の、当時70歳を過ぎた女性。
「もう引退して久しいですし、歳ですから見苦しくて・・・。天皇様のお前になんかあがれません!」と断るのを、しつこく呼びつける。
宮中の近くに家を与え、行ったり来たりして今様を習う。


今で言えば、天皇陛下がカラオケにハマって、芸者さん上がりのおばあさんに習い、マンションんを買い与えて住まわせるというような「ことだ。


また「今様合わせ」といって、貴族の男性を紅白ならぬ左・右にわけ、カラオケバトルも繰り広げさせている。


乙前が84歳でなくなるが、直前に見舞いに行っているし、亡くなってからの供養が並々でない。
一周忌までに、法華経を千回読み、一周忌には法華経とともに、乙前から習った今様の主なものを歌ったという。
お経と今様は院の中では同じ価値がある。


権謀術数にたけた政治家としての後白河院と、今様狂いの後白河院。
どちらも同じ人物だ。
女性関係も派手だし、きっと精神的にも肉体的にもタフな人物だったのだろうな。


一部しか残っていないしメロディもわからない。
だが、歌の歌詞から、当時の人たちの仏教観、大らかな恋愛、ファッション、さまざまな職業などを知ることができるのも魅力だ。