60代おひとりさま、つれづれなるままに

光の春、及び花が苦手だった理由


今の季節、「好きな言葉を一つ」と言われたら迷わず、
光の春
を挙げます。
まだ寒いけど、だんだん日が長くなってくる、立春前後の事象を表す言葉。
「春の光」でなく「光の春」!
磨いていない窓ガラスの汚れが目立ち始める。
日本の言葉だと思っていたら、ロシアのものらしい。
なるほど、日照時間の少ない国のならではの発想かもしれません。



40代、病気で入院していたとき、日差しが明るくなってくる頃、こう感じました。
「日光で春が近づいているのがわかる。きっと元気なら気分が浮き立つに違いない。でも理屈でわかっても、病気の私は喜びを感じることができないし、情けない自分の気持ちを表す術ももっていない」


俳句・短歌などをやる人は、私が感じたようなことを詠めるんだろうな。
季語や独特の表現を用いて、定型の制約の中で、いや制約があるからこそ人に訴えかける手段がある人が羨ましいと思ったものです。


ときが経ち、環境も変わって、今私は「光の春」を満喫しています。そしてあと2か月も経てば、(下の去年の写真のように)本当の春になるんです。



実は私、若い頃、花が苦手でした。
今でも、積極的に育てたいとは思わない。観葉植物の方が好きです。


子どもの頃、繁華街で育って自然に触れる機会がなかったから?
すぐ枯れたり、姿が悪くなったりするのが嫌だから?


いや一番は、
花って生殖器でしょ!あんなにむき出しでいいの?
という身も蓋もない理由のような気がします。
ラン、ユリ、ハイビスカスなど・・・


しかし、ここに越してきてから、しだいに花に親しめるようになりました。
前の公園には桜の木もあるし、ボランティアの人たちが花壇を作ってくれています。


在宅ワークの1年だったけど、テラスから四季の変化が楽しめました。
仕事に疲れて散歩していると、街中でも意外にいろんな花があることに気づきました。
民家の塀の間から精いっぱい顔を覗かせている花、街路樹の下にけなげに咲いている花。


皮肉なことにコロナ禍のおかげで?今までで一番花に親しんだ1年だったかもしれません。